大阪地方裁判所 平成3年(ワ)5444号 判決 1992年11月26日
原告
北川裕一
ほか二名
被告
鈴木成生
主文
一 被告は、原告北川裕一に対し、金四六一九万九四八円及びこれに対する平成元年五月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告北川智彦及び原告北川厚子に対し、各金七三万五〇〇〇円及びこれに対する平成元年五月八日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
三 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用はこれを五分し、その三を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
五 この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 被告は、原告北川裕一に対し、金一億六七五万一七七〇円及びこれに対する平成元年五月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告は北川智彦及び原告北川厚子に対し、各金五五〇万七〇〇〇円及びこれに対する平成元年五月八日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
第二当事者の主張及びこれに対する判断
一 事故の発生
1 事実
次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。
(一) 日時 平成元年五月八日午前八時四五分ころ
(二) 場所 大阪市淀川区東三国六丁目二〇番一号先道路上
(三) 加害車 被告が運転していた普通乗用自動車(大阪五九ろ六〇四一号、以下「加害車」という。)
(四) 被害車 原告裕一が運転していた自動二輪車(一なにわう九六七一号、以下「被害車」という。)
(五) 事故態様 加害車が被害車に衝突した。
2 判断
右の事実については、当事者間に争いがない。
二 責任
1 原告らの主張
(一) 被告は、本件事故当時、加害車を所有し、これを自己のために運行の用に供していた。
(二) 被告は、加害車を運転して、本件道路現場の交差点を北から西に向かい右折する際、南から北に向かい直進してくる被害車との安全を十分確認することなく進行したため、本件事故を惹起せしめた。
(三) よつて、被告は、自賠法三条に基づいて原告裕一の、また、民法七〇九条に基づいて原告北川智彦及び原告北川厚子の、それぞれ本件事故による損害を賠償する責任がある。
2 被告の主張
加害車を保有していたのは被告の父である。
3 判断
(一) 被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。
(1) 被告は、本人事故当時、通勤その他日常の移動のために、加害車を使用していた。
(2) 被告は、加害車を運転して本件事故現場の交差点を右折するに際し、南側から同交差点の方向に進行してくる被害車に気付いたが、右折可能なものと考え、右折を開始した。
しかし、加害車は、同交差点内で、被害車と衝突した。
(二) 以上によれば、被告は、本件事故当時、加害車を自己のために運行の用に供しており、また、被害車との安全を十分に計らずに右折を開始した点に過失があることは明らかであるから、自賠法三条及び民法七〇九条に基づき、本件事故による損害の賠償責任を負う。
三 原告裕一の受傷、治療経過及び後遺障害
1 原告らの主張
(一) 原告裕一は、本件事故の結果、胸椎脱臼骨折、胸髄損傷、肋骨骨折の傷害を負つた。
(二) 原告裕一は、平成元年五月八日、右傷害のため入院し、同年一一月二三日に退院した。
そして、同年七月七日、両下肢麻痺の後遺障害を残し、症状固定に至つた。右後遺障害は、自賠法施行令別表第一級に該当する。
2 被告の主張
(一)(1) 原告裕一は、健常者と同様に一か月間で運転免許を取得し、現在、車を運転して、奈良県王寺付近から大阪市内までの長距離を走行することができ、また、乗下車の際にも、他人の助けが要らない状態である。さらに、日常生活も入浴の際の介護のみが必要であるだけで、排便も独力で可能である。
(2) また、現在、大阪職業リハビリセンターに通学しており、同センター卒業後は、情報処理関係の職業に就職できる可能性がかなり高い。
(二) したがつて、原告裕一の労働能力喪失率を一〇〇パーセントと考えることは妥当ではない。
3 判断
(一) 甲第一及び第二号証、乙第六、第九、第一〇、第二九ないし第三五号証によれば、原告裕一は、本件事故により、胸椎脱臼骨折、胸髄損傷、左第三ないし第七肋骨骨折の傷害を負い、本件事故当日の平成元年五月八日、淀川キリスト教病院に入院し、同日、脊椎後方固定術を受けたこと、同年七月七日、同病院から星ヶ丘厚生年金病院に転医し、同日、同病院で症状固定診断を受けたこと、症状固定時に、原告裕一は、本件事故による胸髄損傷(第六胸椎以下)のため、両下肢完全麻痺の症状が残り、また、第六胸椎骨折に対する脊椎後方固定術のため、胸腰椎部の運動はまつたくできないという運動障害が存する状態であり、今後の回復の見込みはないものと診断されていたこと、右症状固定診断後、車椅子による生活ができるようにリハビリテーシヨンを行う目的で同病院に同年一一月二三日まで入院したことが認められる。
(二) これらによれば、原告裕一は、本件事故により、両下肢完全麻痺等の後遺障害を負い、労働能力をすべて喪失したものというべきである。
(三) なお、原告裕一本件尋問の結果によれば、原告裕一は、大阪市職業リハビリテーシヨンセンターまで自ら自動車を運転して通い、プログラマーのための教育を受けており、将来、プログラマーとして就職可能となることが期待されることは認められるが、同事実によつても、未だ同人は就職を果たしているものではなく、確実に就職可能なものとは認められないばかりか、仮に就職ができたとしても、後記の再入院等の事情により、その就職は一時的なものになる恐れも強いものというべきであるから、原告裕一は労働能力をすべて失つたものと評価すべきである。
四 原告裕一の損害
1 入院雑費
(一) 原告の主張
前記入院期間(合計二〇〇日間)に一日当たり一二〇〇円の雑費が必要であり、その合計は二四万円となる。
(二) 判断
前記認定の治療経過によれは、原告裕一は、合計二〇〇日間の入院期間中に一日当たり一二〇〇円の雑費を必要としたものと推認できる。
(なお、原告裕一は、平成元年七月七日に症状固定診断を受けてはいるが、その後の入院は車椅子による生活ができるようにリハビリテーシヨンを行う目的の下必要なものであつたと認められるから、本件事故と相当因果関係に立つものというべきである。)。
よつて、本件事故による入院雑費相当の損害として二四万円が認められる。
2 入院付添費
(一) 原告の主張
前記入院期間(合計二〇〇日間)中、原告裕一は付添を必要とし、そのために全期間を通じて、一日当たり四五〇〇円を必要とした。その合計は九〇万円となる。
(二) 判断
原告裕一が付添看護を受けそのための費用を負担したことの証拠はない。
3 通院交通費
(一) 原告の主張
平成二年一月一日から同年二月七日までの淀川キリスト教病院及び星ヶ丘厚生年金病院への通院交通費として、二四万九二八〇円が必要であつた。
(二) 判断
原告裕一が主張の日時に通院したことの証拠はない。
4 将来の付添介護費
(一) 原告の主張
本件事故により両下肢麻痺の後遺障害のため、原告裕一は退院後の家族の介護が常に必要な状態にある。したがつて、退院後から平均余命までの五七年間に渡り、一日当たり四五〇〇円の介護費が必要であり、その合計は四三〇八万四二二四円となる。
(二) 被告の主張
自賠法施行令別表第一級に該当する他の交通事故被害車と比べ、原告裕一の後遺障害は重度と考えられないから、より低額が妥当である。
(三) 判断
甲第一号証並びに原告裕一及び原告智彦各本人尋問の結果によれば、原告裕一は、昭和四五年八月一六日生であり、平成二年一月に普通自動車運転免許を取得し、現在のところ、奈良県北葛城郡から大阪市にある大阪市職業リハビリテーシヨンセンターまで身体障害者用の改造自動車を自ら運転して通い、プログラマーのための教育を受けていること、原告裕一は、特に狭い場所等でないかぎり、単独で自動車の乗降ができ、また、車椅子によつても自力である程度の範囲を移動することが可能であること、しかし、原告裕一は一人で入浴及び排便ができないこと、両下肢の感覚が全くないため、同部位に打撃を受けてもこれを感じることができず、そのままにしておく結果、両下肢の一部に打撃を受けた場合、その部位が腐敗する等して入院治療等を受けなければならない恐れがあり、また、車椅子による生活を続けなければならないため、床ずれが生じる恐れが強く、実際に平成四年一月には、床ずれのため、一週間程度入院したことが認められる。
これによれば、原告裕一は、最低限度として、入浴、排便時には介護を必要としており、この介護は原告裕一の生涯にわたつて必要であるものと推認され、また、将来的に床ずれ等のための入院も一度ならず予想される。そして、さらに以上認定の諸事情を併せ考慮すると、原告裕一は、将来にわたり、介護を受けるための費用を必要とし、その一日当たりの金額は二五〇〇円が相当であるというべきところ、当裁判所に顕著な事実である平成二年簡易生命表による一九歳男子平均余命は五七・六六年であるから、原告裕一は、星ヶ丘厚生年金病院を退院した平成元年一一月(当時一九歳)以降五七年にわたつて、右の程度の介護費を必要とするものとするのが相当であり、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、右介護費総額の本件事故時における現価を算出すると、次のとおり二四二六万七九三七円となる。
(算式)2,500×365×26.595=24,267,937
5 逸失利益
(一) 原告の主張
原告裕一は、本件事故当時、一八歳の予備校生であつたが、本件事故による後遺障害により労働能力を全て喪失したから、これによる逸失利益は、平成元年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計の旧大・新大卒男子二〇歳から二四歳までの平均年収額二七九万七二〇〇円を基礎とし、稼働可能期間を二四歳から六七歳までの四三年間として、ホフマン式計算法により中間利息の控除をすると、五五二七万八二六六円となる。
(二) 被告の主張
原告裕一が労働能力を全部喪失したとするのは妥当ではない。
(三) 判断
(1) 以上認定の事実に加えて、原告裕一及び原告智彦各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告裕一は、本件事故当時、一八歳の健康な男子で、私立大学を受験するため予備校に通学中であつたこと等を認めることができる。
(2) そこで、平成元年賃金センサス産業計・企業規模計・旧大新大卒男子二〇歳から二四歳までの平均収入額二七九万七二〇〇円を算定の基礎とし、前記のように本件事故により労働能力のすべてを失うに至つたものと考えられる原告について、原告主張の二四歳から就労可能な六七歳に達するまでの四三年間について、逸失利益の本件事故当時の現価を、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算出すると、次のとおり五三九三万八四〇七円となる。
(算式)2,797,200×(24.416-5.133)=53,938,407
6 慰謝料
(一) 原告の主張
(1) 入通院分 三〇〇万円
(2) 後遺障害分 二四〇〇万円
(二) 判断
前記認定の原告裕一の受傷部位及び程度、治療経過、後遺障害の内容及び程度、年齢、家族構成その他弁論に現れた諸事情を総合考慮すれば、原告裕一が本件事故により被つた精神的、肉体的苦痛に対する慰謝料としては、二一〇〇万円が相当である。
五 原告智彦及び原告厚子の損害
1 慰謝料
(一) 原告らの主張
原告智彦及び原告厚子は、原告裕一の父及び母であり、本件事故により、同人が死亡したのと比肩すべき精神的苦痛を受けた。これに対する慰謝料は、各三〇〇万円が相当である。
(二) 判断
弁論の全趣旨によれば、原告智彦は原告裕一の父であり、原告厚子は原告裕一の母であることが認めることができ、さらに以上認定の事実によれば、原告智彦及び原告厚子は、本件事故により、予備校生である子に胸髄損傷等の重傷を負わされ、また、前記のとおりの両下肢麻痺等の重い後遺障害をもたらされて、子の死亡にも比肩するような精神的な苦痛を被つたばかりか、本件事故以後将来にわたり、原告裕一の介護を続けなくてはならず、これらの精神的肉体的苦痛に加え、原告らの家族構成等その他弁論に現れた諸事情を考慮すると、原告智彦及び原告厚子に対する慰謝料としては、各五〇万円が相当である。
2 自宅改造費
(一) 原告らの主張
原告裕一が車椅子による生活ができるよう、原告らの自宅を改造するための費用として、合計五〇一万四〇〇〇円が必要であつた。これは、原告智彦及び原告厚子が折半して負担した。
(二) 判断
(1) 甲第三号証及び原告智彦本人尋問の結果によれば、原告智彦及び原告厚子は、原告裕一が車椅子で生活できるよう段差をなくす等するため、原告らが本件事故当時住んでいた大阪市淀川区のマンシヨンの居宅を改造し、そのために一一〇万円の費用を負担したことが認められる。
(2) このことに加え、前記認定の諸事情を総合考慮すると、原告智彦及び原告厚子が負担した一一〇万円は、原告裕一が日常生活を営む上で、必要であつたものというべきであり、本件事故による損害として相当因果関係を認めることができる。そして、弁論の全趣旨によりすれば、この費用は同人ら折半して負担したものと認めることができるから、家屋改造費として、本件事故により同人らに生じた損害は各五五万円となる。
(3) なお、第四、第五号証及び第六号証の一ないし三並びに原告智彦本人尋問の結果によれば、原告らは、本件事故当時住んでいたマンシヨンから、平成四年四月二三日、新築した三階建て家屋に転居し、同家屋には三九一万四〇〇〇円を費やして三階までのエレベーターを取り付けたことが認められるが、他方、原告裕一が平成元年一一月二三日の退院後居住した右マンシヨンは、原告智彦本人尋問の結果によれば、多少の不便はあつたものの、十分原告裕一が生活できたものであつたものと認められ、右家屋に転居しなければ原告裕一が生活できなくなる事情は証拠上窺われないから、右エレベーター取り付け費用も本件事故と相当因果関係のある損害であるとする原告智彦及び原告厚子の主張は採用できない。
六 過失相殺
1 被告の主張
(一)(1) 本件事故発生場所は、交通整理の行われていない三叉路の交差点であり、同交差点の約一〇メートル南側には交通整理の行われている交差点がある。
(2) 被告は、右三叉路の交差点を右折するため、ウインカーを出した状態で対向車を二、三台やり過ごし、対向車が途切れた際に、右折を開始した。その際、被害車は、交通整理の行われている交差点の約一二・五メートル南側の、加害車からは六〇・二メートル南側を走行していた。
(3) 被害車が、交通整理の行われている交差点の約一二・五メートル南側の地点を走行しているときに、同交差点の被害車対面信号は黄色から赤色に変わつたが、原告裕一は、同信号を無視して、制限速度時速四〇キロメートルのところ時速八〇キロメートルで、同交差点を通過した。
(4) 原告裕一は、加害車が右折のためのウインカーを出しているのを十分認識していたが、加害車が右折を開始しないものと軽信し、約三・五秒間脇見運転をした結果、直前になるまで加害車が右折中であることに気付かなかつた。そのため、原告裕一は急ブレーキをかけなければならなくなり、その結果、被害車は転倒し、滑走して被告車と衝突した。原告裕一自身は、加害車とは接触しなかつた。
(二) 原告裕一には、被害車を運転するに当たり、信号及び制限速度を遵守した上、道路の左側を走行し、前方を注視して、殊に交差点内では、減速走行するとともに進路前方の交通状況に対する注視を一層厳重にし、右折車等との衝突事故を未然に防止すべき注意義務があつた。
しかるに、原告裕一は、本件事故発生場所である交通整理の行われていない三叉路の交差点の南側にある交通整理の行われている交差点の赤信号を無視し、制限速度時速四〇キロメートルのところ時速八〇キロメートルで進行し、約三・五秒間脇見運転をした結果、直前になるまで加害車が右折中であることに気付かなかつた。
(三) これらの過失を考慮すると、本件事故発生に対する原告裕一の過失割合は五、六割というべきである。
2 原告らの主張
(一) 被告が、右折のためウインカーを出した時点での被害車の位置は、交通整理の行われている交差点の南端で、衝突地点まで約四〇・七メートルの地点であつた。
(二) また、交通整理の行われている交差点の信号の色は、被害車が交差点に進入する時には青色であり、進入後黄色に変わつたものである。
(三) さらに、被害車の速度は、せいぜい時速五〇キロメートルで、仮にもう少し出ていたとしても、本件事故現場の道路が狭く、常時道路両側に駐車車両があることから明らかなとおり、時速六〇キロメートルを超えることはなかつた。
(四) したがつて、仮に、原告裕一に過失が認められるとしても、本件事故現場付近の道路に慣れていることも手伝い、無謀な右折をした被告の過失が極めて大きいことは明らかであるから、原告裕一の過失割合は、せいぜい一割である。
3 判断
(一) 乙第三、第四、第五、第一五、第一六及び第二〇号証並びに原告裕一及び被告各本人尋問の結果を総合すれば(ただし、後記の信用しない証拠部分は除く。)、次の事実が認められる。
(1) 本件事故現場の状況は、別紙図面のとおりであり、南北に伸びる道幅一一メートルの北方き南行き各二車線の道路(以下「南北道路」という。)と、同道路から西に伸びる道幅八・一メートルの道路が交わる三叉路の交差点(以下「本件交差点」という。)内の地点(別紙図面の<×>地点)が衝突地点である。南北道路の同交差点より南側十数メートルのところには、東に伸びる道幅八・八メートルの道路との三叉路の交差点(東三国小学校前交差点、以下「南側交差点」という。)があり、本件交差点には信号機は設置されていなかつたが、南側交差点は信号機により交通整理がなされていた。
付近は、市街地であり、南北道路は歩車道の区別がしてあり、南北への見通しは良かつた。また、付近の道路は、アスフアルト舗装がされており、平坦であり、本件事故当時、路面は乾燥していた。本件事故後の平成元年五月八日午前九時三五分から四五分間にわたつて実施された実況見分時、南北道路には五分間に三一台の車両の通行があつた。
そして、付近の道路には、時速四〇キロメートルの速度規制、駐車及びはみ出し禁止の規制が行われていた。
(2) 被告は、通勤のため、加害車を運転し、南北道路を南に進んで本件交差点手前に至り、本件交差点を右折して西側に進むべく、南北道路南行き車線の中央寄り車線(第二車線)の中央線寄りの地点(別紙図面の<1>地点)に停止し、南北道路北行き車線を進行してくる対向車を数台やり過ごした後、四一メートル程度南側の南側交差点南側横断歩道上付近の北行き車線を、制限速度を越えた速度で進行してくる被害車(同じく<了>地点)を認めたが、右折しきれるものと判断し右折を開始した(乙第一三、第二〇、第二一及び第二三号証には、被告が被害車を発見した地点は、六〇メートル程度南側の地点であつた旨の記載部分があり、被告はこれに沿う供述をし、本件事故直後に被告立会の下作成された実況見分調書である乙第三号証のこれと反する記載部分は、警察官が被告の指示を誤つて作成したものであると述べているが、実況見分時に警察官によつて作成され同号証の作成の基礎となつた原因である乙第一九号証の記載に照らし、乙第三号証は実況見分時の警察官の認識のとおりに作成されたものと認められるところ、乙第一四号証によれば、警察官は実況見分に際し、被告自身に発見地点を指示させ、指示された地点の路面にチヨークによつて印を付けるという方法で発見地点を認識したものと認められるから、乙第三号証は本件事故直後の実況見分時の被告の指示のとおりに作成されたものとして信用でき、これに反する前記乙第一三号証等及び被告本人尋問の結果の前記部分は信用することができない。)。
その後、被告は、加害車が三・四メートル程度進み、加害車右前端が中央線から一・六五メートル程度西側に達した地点(同じく<2>地点)で、さらに前方の北行き車線を進行してくる被害車を認めたため、右折を中止し、加害車のハンドルを左に切つて衝突を回避しようとしたが、右地点より三メートル程度南に進んだ地点(同じく<3>地点)で、加害車右前部と、被害車が衝突した。加害車は、衝突した地点から五・五メートル程さらに南に進んだ地点(同じく<4>地点)で停止した。
(3) 原告裕一は、予備校へ通学のため、被害車を運転し、南北道路を北に進んで南側交差点手前に至つた。原告裕一は、対面信号が青であることを確認して、時速五〇ないし六〇キロメートル程度の速度で進行し(被告は被害車の速度が時速八〇キロメートル程度あつたものと述べるが、その認識に客観的な根拠はなく、乙第一六号証によれば、加害車と衝突した時の被害車の速度が時速四〇キロメートル前後であつたものと認められることからすると、同供述は信用できない。)、前方四〇ないし五〇メートルの本件交差点付近の対向車線上に加害車が停止し、右折の合図をしていることを認めて、その後南側交差点に進入した。そして、原告裕一は、加害車が右折進行しないものと思い、それまでの速度のままで進行しながら、一旦南側交差点東側の交差道路を見て加害車から目を離し、もう一度目を前方に戻した時に、加害車が右折進行を開始したことに気付き、衝突を避けるため急ブレーキをかけたが、タイヤがロツクし、そのため被害車はバランスを崩し左側に横倒しの形となり、原告裕一は被害車から投げ出された。倒れた被害車は、それまでの進路の延長線上をまつすぐに滑走して、加害車右前部と衝突し、加害車前部バンパー右側及び右前フエンダー部分に凹損を生じさせた後、さらに三四メートル程度滑走して北行き車線中央寄り車線(第二車線)上の地点(別紙図面の<オ>地点)に止まつた。原告裕一自身は、加害車と衝突することはなかつたが、右衝突地点から一三メートル程度北側の、北行き車線中央寄り車線(第二車線)上の地点(同じく<エ>地点)まで衝撃で運ばれて、その場に倒れた。
(4) なお、被告は、原告裕一が南側交差点の赤信号を無視して同交差点を越えて進行してきた旨主張し、乙第四、第一三、第二〇及び第二一号証並びに被告本人尋問の結果にはこれに沿う部分があるが、乙第二六号証によれば、被告は、平成元年一一月一五日に、それまでの供述を改め、被害車が南側交差点に進入した時には信号は青から黄色に変わるところであつたと検察官に供述したことも認められるところで、被告本人の供述等をもつて、南側交差点の信号が赤色であつたことを否定している原告裕一の供述を覆すことはできないし、他に被告の主張を認めるべき証拠はない。
(二) 以上によれば、原告裕一は、被害車を運転して、本件交差点の道路を進行する際には、制限速度を遵守し、前方に対向右折車を発見したら、その動向に注意して進行すべきであつたが、これを怠り、制限速度時速四〇キロメートルを越える時速五〇ないし六〇キロメートル程度の速度で進行し、前方四〇ないし五〇メートルの本件交差点付近に加害車が右折の合図を出して停止しているのを認めたが、同車が右折進行してこないものと思い込み、同車から目を離し東側方向をわき見した落ち度があるものというべきである。
しかし、他方、交差点において右折しようとする車両は、直進しようとする車両の進行妨害をしてはならない(道路交通法三七条)のであるから、本件交差点を加害車を運転して右折する際には、被告は、前方四一メートル程の地点を直進してくる被害車を認めた以上、同車をやり過ごしてから右折を開始すべき注意義務があつたものというべきであるが、同車が制限速度を越えた速度で進行してくることを認識していたにもかかわらず、右折可能なものと思い込み右折を開始した点に過失があることは明らかである。
そして、本件事故は、前記の被告の過失と原告裕一の落ち度が競合して発生したものというべきであり、その内容及び程度を対比し、その他前記認定の諸事情を総合勘案すると、本件事故発生についての原告裕一の過失割合は三割とするのが相当である。
(三) そこで、前記認定の原告裕一の損害額合計九九四四万六三四四円に、弁論の全趣旨により認めることができる本件事故による原告裕一の治療費合計二四〇万四九七五円を加えた一億一八五万一三一九円の三割を過失相殺として控除すると、原告裕一が賠償を求め得る損害額は七一二九万五九二三円となる。
また、原告智彦及び原告厚子についても同様の控除をすべきであるところ、前記認定の同人らの損害額合計は各一〇五万円であるから、過失相殺後の原告智彦及び原告厚子が賠償を求め得る損害額は各七三万五〇〇〇円となる。
七 損害の填補
1 事実
(一) 自賠責保険から原告裕一に対し、二七〇〇万円の支払があつた。
(二) 被告は、本件事故による原告裕一の治療費合計二四〇万四九七五円を病院に支払つた。
2 判断
右事実については、当事者間に争いがない。
よつて、これを過失相殺後の原告裕一の損害額合計から控除すると、原告裕一が被告に対して賠償を求め得る残損害額は四一八九万九四八円となる。
八 弁護士費用(請求額七〇〇万円)
原告らが、本件訴訟の提起及び追行を原告ら訴訟代理人に委任したことは本件訴訟上明らかであり、弁論の全趣旨からその費用及び報酬については原告裕一が負担するものと認めることができるところ、本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、本件事故による損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は、四三〇万円とするのが相当である。
九 結論
以上の次第で、被告に対する原告裕一の自賠法三条に基づく本訴請求は、金四六一九万九四八円及びこれに対する本件事故の日である平成元年五月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、また、被告に対する原告智彦及び原告厚子の民法七〇九条に基づく本訴請求は、各金七三万五〇〇〇円及びこれに対する右と同じ日から支払済みまで右と同じ割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める限度で理由があるから、これらをいずれも認容し、その余の各請求は理由がないからいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 林泰民 松井英隆 小海隆則)
(別紙図面)
<省略>